中村ゆうじさんが長年担当してきた大食いのMCを卒業することになりました。
理由は「体力的にきつくなってきたから」ということらしいです。大食いの試合の最中ずっとしゃべり続けるわけですから、かなりきつい仕事なんでしょうね~。
中村ゆうじさんと言えば、パントマイマー(パントマイムの芸をする人)としても有名でした。こちらの印象が強い方も多いかもしれませんね。
テレビで放送されない?中村ゆうじのパントマイム
まずは、テレビでは滅多にお目にかかれない中村ゆうじさんのパフォーマンスを動画で見てみましょう。
これはちょっとよい子のみんなには見せられないですよねw
しかし、動きの一つ一つは非常に洗練されていて美しさを感じるほどです。中村さんによれば、パントマイムのコツは「固定点を意識すること」だそうです。もっと分かりやすく言うと、重心をどこに置くのかを意識することが大事らしいですね。
中村ゆうじは初め役者になることが夢だった
中村ゆうじさんは初めからパントマイマーを目指していたわけではなく、最初は役者として活躍することが夢だったようですね。
役者になりたいと思ったのは、中学生の時に演劇部の助っ人として文化際で芝居をやったことがきっかけでした。中村さんは当時陸上部に所属していたのですが、仲の良かった英語の教師が演劇部の顧問をしていて、ある日その先生から誘われたそうですね。
初めて舞台の上で芝居を演じた中村さんはこう思ったそうです。
「将来、芝居をして暮らせていけたら幸せだろうなぁ。」
この時感じた思いはその後も変わることはなく、いつしか芝居の道にのめり込むようになっていったそうです。
こうして、中村ゆうじさんは1975年に劇団「テアトル・エコー」に入団することになります。当時18歳でした。
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パントマイムを始めたきっかけ
役者になることを志していた中村ゆうじさんが、パントマイムを始めようと思ったきっかけは、ロルフ・シャレというドイツ人のパントマイマーに出会ったことでした。
ロルフ・シャレ氏は当時たびたび日本に訪れて、公演や役者のための講習会を開いていました。
下の画像はロルフ・シャレ氏が1969年に来日した際、アートシアター新宿文化で特別公演を開いた時のチラシです。

中村ゆうじさんはロルフ氏のパントマイムにかなり衝撃を受けたようで、「もう芝居をやっている場合じゃない」と思ったそうですね。
そして、本格的にパントマイムを学ぶため、77年に劇団を退団し、その後は日本中を飛び回り武者修行をしたそうです。
87年には単身でパリまで修行に行きました。この時に出会ったポニーというカナダ人のパントマイマーからも色々と技術を学んだそうです。
こうして完成させたのが冒頭の動画でみたような洗練された動きだったのですね。
まとめ
中村ゆうじさんには時々パントマイムのワークショップをやって欲しいとの依頼がくるそうです。
もし、パントマイムをやってみたい!という方がいたらぜひ参加してみることをおすすめしますよ。
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