
女優の横町慶子さんが17日に死去していたことわかりました。48歳の若さでした。
27日に親族の方がフェイスブックを通じて明らかにしたとのことです。↓

葬儀の喪主は兄である俊智氏が務めたとのことです。
なお、死因はまだ不明です。(28日現在)
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横町慶子さんはどのような人物であったか?
横町慶子さんの芸能界デビューはかなり早く、4歳の時にひばり児童合唱団に所属していました。
※ひばり児童合唱団とは1943年に結成された合唱団です。
そして坂本龍一さんと矢野顕子さんが作る楽曲にコーラスとして参加していたようです。
そんな横町さんが芸能活動を本格的に始めるきっかけとなったのは、高校生の時にプロデューサーの秋山道男氏にスカウトされてモデルとしてデビューしたことでした。
当時の芸名は「横町こすず」で、雑誌などで大きく取り上げられることもあったようです。
「横町こすず」特集なのか、知人がまた見つけてくださいました。名付け親は、もちろん、当時の憧れ、スーパーエディター、秋山道男さん。撮影は、荒木経惟さん。アンティークと昔の女優さんが大好きだった頃です。 pic.twitter.com/mUbGcHmvLB
— 横町慶子 yokomachikeiko (@keikoyokomachi) 2015年8月14日
そして平成元年に劇団「ロマンチカ」に入団。以後平成25年まで所属することになります。
劇団所属時は、ほぼすべての演劇で主役を務めあげ、そのかたわら振付を担当することもありました。
また、『ハードラックヒーロー』(2003年公開・監督SABU)や、『奇妙なサーカス』(2005年公開・監督園子温)などの映画や、TVドラマそしてCMなどでも活躍されていました。
しかし、2010年に突然脳梗塞を発症してしまい、4ヶ月に及ぶ入院生活送り、後遺症として左半身不随となってしまいます。
誰もが役者としての復帰は難しいだろうと考えていました。でも、横町さんは諦めずにリハビリを続け、2013年9月に復活を果たします。復活後第一弾となった舞台が『生命の泉は汝とともにあり』でした。
横町さんと一緒に舞台を作り上げたことがあるケラリーノ・サンドロヴィッチ氏は、復帰後の横町さんの作品に関してこのようなコメントをしています。
半身不随の状態で作られた作品群は、それ以前の作品とは全く質を異にする舞台だ。ロマンチカ時代の美意識でいうと『かっこ悪い横町慶子』だったかもしれない。しかし、壮絶な格闘の中で創り上げられたこれらの作品は、彼女が半生をかけて行ってきた表現活動の蛇足なんかでは、決してない
女優として復帰後も精力的にリハビリを続けていただけに、今回の突然すぎる死が悔やまれます。

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